2000年1月号 母の愛 |
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ぼくはもう18歳になりました。もうすぐ大学に進学します。自分を大人だと思っているのに、まだ両親から子ども扱いされている矛盾の時期です。ときどき母の世話やきにはうんざりすることがあります。 数日前、ぼくは友だちとバスケットをしていた時に、足首を捻挫してしまいました。冷や汗が出るくらい痛くて歩けません。でもぼくはもう18歳の男児、笑って友だちとタクシーで病院に行きました。医者の診察を受けてから、ケガの重さがわかりました。靱帯が切れていて、石膏で固定しなければなりません。全治するには三ヵ月もかかるということでした。 その晩、ぼくは包帯を巻き松葉杖をついて家に帰りました。母はびっくり仰天してしまいました。ぼくが「もう大丈夫だから」と何度説明しても、母は「ほんとうに大丈夫なの?」「痛くない?」としつこく聞きました。その時ぼくは傷の痛みと煩わしさで「もうほっといてくれ」と叫びたくなりました。 一週間後、母はどうしても病院の再診察にいっしょに行くと言いました。ぼくは同意するしかありませんでしたが、居心地はよくありませんでした。 待合室で待っている時、診察室のほうから赤ちゃんの泣き声と中国語の話し声が聞こえて、ぼくの好奇心を誘いました。10分後、若い母親が赤ちゃんを抱いて出てきました。ぼくは中国語で話しかけてみました。やはり中国の方でした。彼女はぼくの中国語に驚きました。そして、自分が中国のハルビンから来たこと、赤ちゃんは日本で生まれてまだ十ヵ月であること、背中が少し曲がっているようなので心配で診察に来たことを教えてくれました。医者は生まれたばかりの赤ちゃんはみんなそうなので、病気ではないから心配しなくてもいいと言ったそうです。若い母親は我が子の背中を軽く叩きながら、やさしい声でぼくと話をしていました。その顔は愛に満ちていました。この時、ぼくはこのお母さんの我が子を愛する心に感動しました。 振り返ると、母は椅子に静かに座って、微笑みながらぼくを見守っていました。我が子が中国語で中国人と話しているのを見て、母はきっと誇らしく思ったことでしょう。母はもう若くはありません。髪も白くなりはじめました。でも彼女の表情は、若い中国人のお母さんとびっくりするくらい似ていました。その瞬間ぼくはわかりました。母の目から見れば、ぼくは永遠にさっきの赤ん坊のように小さくて、保護が必要なのです。18年の間、ぼくは大きくなりました。そして母は年をとりました。世の中も変わりましたが、母の愛と献身的な姿勢だけは変わりません。 ぼくは以前、母の気持ちを思いやれなかったことを後悔しています。邪険にしてひどいこともたくさん言いました。母の心を傷つけたことでしょう。今日、ぼくの経験をみなさんに話したのは、ぼくと同世代の若い人たちがぼくのような間違いをしないようにと願うからです。 南京都高等学校3年
柴田 幸洋 |
この原稿は、柴田幸洋さんが1999年11月に開催された第4回近畿地区高等学校中国語弁論大会(全国高等学校中国語教育研究会関西支部主催)で発表した「母爱」の日本語訳です。柴田さんは優秀賞を受賞しました。所属は1999年当時のものです。 |