2002年1月号 歴史教科書問題で考えたこと |
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私は、夏休みを利用して県主催の韓国との交流会に5泊6日で参加する予定でした。しかし、出発する一週間ほど前になって突然「中止」を告げられました。日本の『新しい歴史の教科書』が文部科学省の検定に合格したことで、韓国から厳しい批判が沸き起こり、それに伴う国内情勢の不安定さにより受け入れ中止となったのです。その時の私は何が何だか理解できず、「そんなのどうでもいいじゃん」と、ただ怒る気持ちで一杯でした。しかし、中止になったことでその教科書問題は私の中でとても身近なものとなりました。この問題に注目していると、県内でも日韓交流事業が次々に中止になり、韓国への修学旅行が中止になった学校もあることがわかりました。 では、この教科書が私達に提起している問題とは一体何なのでしょうか。私は、この教科書の使用については反対です。「つくる会」がこの教科書を作った目的は、子供たちが学校で歴史を学ぶことによって自国に誇りを持てるようにしたいということです。もちろん、この目的自体は至極当然のことで、私は、どこの国であれ、子供は歴史を学ぶことによって自国の歴史や文化に誇りを持ったほうが良いと思います。問題は、その誇りとは何か、どのような誇りを持つか、ということです。 では、自国に誇りを持てるような歴史の語り方とは何かと言えば、一つは、良いことや成功したことだけを語ること。もう一つは、悪いことをしたり、失敗したりしたことも自ら直視し、認め、反省することです。後者は自己を批判する能力があるということですし、自分の失敗を認める勇気があるということですから、それは誇りの根拠になりうるものです。歴史は空想ではありません。だからこそ事実の尊重ということが一番大切です。そこでは学問的な厳しさが要求されるので、どのような事実があったか、自分の解釈に都合のいいものばかりでなく、不都合な、あるいは反するような事実もきちんと直視することが、歴史を記述する前提になります。 歴史の良いところばかりを集めるというのは、逆に説得力を失わせるものです。子供だって、良いところばかりを見せられれば、世の中にそんなことはないのですから、その嘘を見破ると思います。静かに、客観的に、悪いところも含めて教えることで説得力を増すし、本当の意味での誇りを与えると思います。 今回、私は楽しみにしていた交流会に参加することができませんでした。しかし、このことをきっかけとして、日本の歴史について今までとは違う角度から考えることができました。 宮崎県立小林高等学校
黒江桃子 |
これは、2001年9月27日から10月4日まで、宮崎県で開かれた第23回宮崎県高等学校総合文化祭の弁論部門での弁論原稿です。所属は2001年当時のものです。 |