2004年7月 中国を訪れて思ったこと |
---|
2004年3月、46名の日本の高校生から成る高校生交流代表団(日中友好協会主催)が中国を訪れました。京劇のリハーサル風景や舞台裏を見学したり、盧溝橋抗日戦争記念館や天安門、万里の長城などを観光しました。また、北京と上海の市内にある高校を訪れ、中国の高校生と一緒に授業を受けたり、ホームステイを体験したりしました。6泊7日間の訪問日程では、普段経験できないようないろいろな活動が組み込まれていました。初めて中国を訪れた日本の高校生たちは、何を感じ、どんなことを思ったのか、高校生たちが書いた感想文の抜粋を紹介します。 |
看板の漢字に中国を実感 兵庫県立伊川谷高等学校 3年 御手洗結香 28日はいよいよ日本を離れる日です。飛行機から地上に向かって手を振り、機内では中国の話で持ちきりでした。中国とは、たった1時間しか時差がなく、距離も近いので、あっという間に北京に着きました。最初降り立った時は、関西空港とあまり変わらなかったので実感がわかなかったけど、外に出て見渡す看板は全部「漢字」。その時に「中国に来たんだぁ~」と、うれしくなり思わず周りの交流団の子と記念すべき写真一枚目を撮りました。着いたとたん、黄砂と、ハードなスケジュールが私たちを待っていました。でも、普通の観光ではできない経験をたくさんしました。(後略) |
私の思いを伝えたい 同志社国際高等学校 2年 中尾恵 (前略)まず私がこの交流団に参加させてもらいたいと思った理由は、中国の人々に私の思いを伝えたかったからです。第二次世界大戦時の日本の行為は非常に残虐なものであったと思います。そのことが原因で、今でも日本国、日本国民のことを毛嫌いしている中国人が大勢いるということを耳にしました。しかし私は、日本人の中にも日本の残虐な行為について悲しみ、恥じている者が大勢いるということを、中国の人々に知ってもらいたかったのです。日本人であるということが原因で冷たい態度をとられたとしても、私は、中国へ行ってどうしても伝えるべきだと思ったのです。(後略) |
父の思いが理解できた 大阪府立平野高等学校 3年 牛浜賢三 (前略)思えば父親の日中友好に対する気持ちを出発前まではそんなに考えていなかったけど、日中友好交流を大事に考えている父親に、帰国してから少し理解できるようになったと報告した。外から見ただけでは理解できなかったことを今回の旅で自分なりに視野が広がって大きくなったような気がする。機会があれば是非、祖父と父親と3世代で中国に行って何かを学んできたいと思う。(後略) |
ホームステイ先の家族のやさしさにふれて 兵庫県立神戸商業高等学校3年 久保由喜代 (前略)家に帰る時、「中国の家ってどんな感じなんだろう」と思いながらわくわくしていた。家は想像以上に狭かった。だからといって「貧乏」だとか「よくこんな家に住めるものだ」なんて全く思わなかった。それどころか家族のとても仲のいいことをうらやましくさえ思った。家族はやさしすぎるぐらいにやさしかった。お母さんは私の髪をとても丁寧にやさしく洗ってくれた。洗ってもらいながら「中国の人はこんなにすばらしい人たちなのに日本人はどうしてあんなにひどいことをしたんだろう」という思いがして情けない気持ちと感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。幸い、頭を洗っていたおかげで私の涙はばれなかった。(後略) |
ひとつひとつの出会いを大切に 大阪府立箕面高等学校3年 蔦宮子 (前略)中国の人々のやさしさに、北京でも上海でもどこへ行っても出会うことができました。日本大使館で「中国人の若者の70%が日本大嫌いだ」という話を聞きました。でもそんな統計をとっても何もいいことはないと思いました。好きとか嫌いとかは、1人の人間として付き合って初めて生まれてくる感情だからです。今回の中国への訪問で、私たちは日本人、中国人なんて関係なく、本当にすばらしい時間を共有できました。いっしょに折った折鶴、日本のアニメを見ながらみんなで作った晩ご飯、あつかましく頼んで連れていってもらったマクド、そして全員で歌った「さくら」……。私たちはたくさんの仲間と絆を深めて、これからもずっとつながっていくことを約束し合いました。過去の歴史を変えることはできないし本当に日本を嫌いな人が今はいるかもしれないけど、私たちができることは、こうやってひとつひとつの出会いを大切にしてお互いのことをもっともっと知っていくことだと思います。今回の訪問で大きな一歩を踏み出せたことは誰の目にも確かです!(後略) |
考えること、求めるものは皆同じ 福岡県立博多青松高等学校3年 木本陽香 (前略)私のこの旅でのいちばんの目標は、多くの友達をつくること。中国で初めて出会った高校生は職業学校に通う、日本にとても興味を持っている16歳の、私に似たとてもかわいい女の子だった(笑)。その子は学校を卒業したら、日本に留学するらしく、日本の音楽やアニメに詳しく、もっと日本の文化を知りたいと言っていた。私は、こんなにも日本に興味を持ち、また一生懸命日本語を聞き取ろうとする姿にとても感動し、すごくうれしい気持ちになった。また、携帯電話でメールや電話をしていることにも驚いた。中国の高校生も、日本の高校生と同じように携帯電話を持っていて、友達にメールをしている。やはり、若い世代の考えること、求めるものは、日本も中国もいっしょなんだなあと感じた。(後略) |
日本は戦争の加害者でもあることが分かった 大分県立日出暘谷高等学校3年 仲井大佑 (前略)中国訪問にあたり忘れてはいけないのが中国人民抗日戦争記念館です。正直僕は日本はアメリカに原爆を落とされ、戦争の被害者というイメージが強かったのですが、その考えはくつがえされ、日本は加害者でもあるということが分かりました。なぜ戦争をするのか、なぜ戦争が終わらないのか……今世界は争いの絶えないものになっていると思います。こんな現状だからかもしれないけれど、考えさせられることが多かったです。(後略) |
偏見にしばられていた自分 熊本県立濟濟黌高等学校3年 今田奈穂 (前略)工業関係などの分野で発展しているものの、社会主義国ということもあって、一般市民の生活は、北朝鮮に近いのではないかと思っていました。けれど実際に見た中国は、環境への問題意識が乏しい(日本が高いというわけでもないけれど)などの問題点もありましたが、私が考えていた発展途上国とはまるで違った世界でした。(中略)私は今回の旅で、中国という国の広さと大きさ、歴史の深さ、そして自分の視野の狭さ、心の狭さを痛感しました。出発前の私は、やはり中国=発展途上国という偏見にしばられていたのだと強く感じます。(後略) |