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「高校生のフォトメッセージコンテスト」は2006年度の第10回をもって終了しました。
2008年からは、読売新聞主催「第30回よみうり写真大賞」において、高校生部門として「フォト&エッセーの部」が新設され、
同部門が「高校生のフォトメッセージコンテスト」を継承することになりました。
詳細はこちらをご覧ください。 【読売写真大賞】http://www.yomiuri.co.jp/photogp/
第10回コンテスト(2006年)

第9回コンテスト(2005年)

第8回コンテスト(2004年)

第7回コンテスト(2003年)

第6回コンテスト(2002年)

第5回コンテスト(2001年)

第4回コンテスト(2000年)

第3回コンテスト(1999年)

第2回コンテスト(1998年)

第1回コンテスト(1997年)

最優秀賞
「フリースクールの兄貴分」 /佐々木一貴

優秀賞
「決して忘れない 生君との絆」 /西口謙
「初恋から変わる君」 /園部竜也

審査員特別賞
「100%ナミリン〜マレーシアを通して〜」 /藤本瞳
「新世界<ウイグル>」 /金子怜史
「たいせつなこと」 /久保田淳子

奨励賞
「家族 写真 幸せ」 /北浦加奈
「幸(しあわせ)の証」 /吉浦演子
「タナッキュー!!夢見少女 I子」 /志田奈穂
「タイからやってきたミーン」 /南 知佳
「夢は正夢」 /大久保未来
「夢への実現」 /松石季里子
「島のアイドルひろみ」 /國貞有希奈
「ロバート、I will miss you.」 /津川万里
「奈保子のメロディー」 /中島ゆう子
「めざせ最速保育士」 /村上由紀子

努力賞
「クリス進ム!」 /荒木かおり
「多彩に多才な秋田美人」 /石田あやか
「常に向上心をもって前向きに生活しています。」 /小川誠太朗
「われらのホームルーム委員長」 /加藤めぐみ
「ア・テンポ」 /坂本久美
「麻利子のなかの「加奈」」 /末廣麻利子
「こういうのがずっと続くといいと思う」 /高瀬晴香
「食べづかれ」 /田中茉梨奈
「18歳のなぎなた道」 /谷川朝美
「18歳の子供」 /若尾悠太


   
第9回コンテスト(2005年)の入賞作品
 奨励賞  
「タイからやってきたミーン」
  南 知佳   大阪府立松原高等学校
     
  日本を好きになったのは、漫画とプレイステーションのおかげ。憧れの日本で思う存分、漫画を読むミーン。
     
  友達は一足先に大学生に。日本での一年間の留学生活はとても貴重だけれども、タイに帰ってすぐに受験があるので、勉強しておかなくては。
     
  日本で初めて料理をするミーン。ツルツルの里芋をむく手が危なっかしい。
     
  雪を見た事がなかったミーンと一緒に金剛山に。ホームステイ先のお母さんも大喜び。
     
  川辺小学校の国際交流週間で、低学年の子供達にタイを紹介。ミーンは模造紙にいっぱい書いて説明。クイズもタイの景品を用意しました。
 
 
撮影者からのメッセージ
ミーンとの最初の出会いは、8月の夏休みが終わる直前でした。ミーンがホームステイ先のお母さんと学校に挨拶に来た時でした。初めて会った私達は、緊張や不安でいっぱいでした。でも、ミーンの日本語がうまくてびっくりしました。その時は、恥ずかしさもあってあまりしゃべることができませんでした。次の日、ミーンは私のクラスにやってきました。みんなの前で恥ずかしそうな様子で挨拶していました。
 日本にきたばかりのミーンは、9月には私達と一緒に韓国への修学旅行へ行くことになりました。私達は部屋も同じだったし、自由時間も一緒に行動しました。ミーンの見えなかった部分がいっぱい見えてきました。食事の時にわかった事がありました。野菜が嫌いだということです。野菜はほとんど食べません。その代わり、お肉が大好き。それに箸を使うのが上手でした。この修学旅行でたくさん話をすることができて、お互いに相手のことがわかり、仲が深まった気がします。
 学校の授業では、「手話」と「書道」で一緒です。日本語がちゃんとわからないと手話は難しいです。覚える事がたくさんあり、私でもすごく大変です。ミーンは先生に教えてもらった手話を忘れないように紙にメモしていました。えらいなと思いました。先生の質問にも積極的に答え、私以上に頑張っていると思います。実技テストも正確に覚えて上手にやっています。書道の授業でミーンが初めて筆で書いた文字は、「笑」という字です。自分で書きたいと言った文字です。なれない手つきで先生のお手本を見て、一生懸命書いていました。初めはうまく書けないのですが、何枚も練習するにつれて目に見えて上達しました。ほんとに努力家です。
 ミーンの夢は翻訳家になって、日本の漫画の「ふきだし」の部分を日本語からタイ語にして、日本の漫画をタイに広めることだそうです。タイでも、「名探偵コナン」がテレビ放送されていて単行本も全巻持っているそうです。日本でも漫画を買って、部屋には漫画がたくさんありました。漫画を読んでいる時が、一番楽しそうです。
 両親が会社を経営しているタイでは、多忙な両親の代わりにお手伝いさんがいて、何でもしてくれていたそうです。タイでは家の手伝いをしたことがなくて、日本で初めて包丁を持って野菜を切ったそうです。一番寒くても26度くらいのミーンのいるロッブリーで育った彼女は、冬になると「寒い」を連発しています。雪を初めて見て大喜びしています。規律の厳しいタイと比べて、自由な日本の女子生徒のお化粧や茶髪にもショックだったようです。毎日が驚きの連続のようです。
 今までミーンを見てきて、何事にも一生懸命取組む努力家だということがわかりました。誰もしらない人ばかりの国に一人でやってきて頑張っている姿を見て、「私も負けずに頑張るぞ!」と勇気がわいてきます。
 
主人公からひとこと
昨年の夏、ロータリークラブの交換留学生として、私は日本に来ました。最初のホームステイ家族は土井さんでした。私が一人で出来ない事を、みんなしてくれました。学校が始まると、私はクラブのことを先生に相談しました。女子サッカー部に興味があったからです。タイでは夕方になると家族とよくサッカーをしていました。でも、松原高校の女子サッカー部に入ってみると、みんなよりもっと練習しなければならないことがわかりました。なぜなら私は一年くらいしか練習してなかったのに、みんなは小学生の頃から練習していたからです。毎日毎日、私は一生懸命練習しました。でも誰も私に注意を払ってくれませんでした。練習の日程も、ちゃんと伝えてくれなかったこともありました。ペア練習の時も、相手がいなくて一人ぼっちになることもありました。「もう、みんなとできない」と思いました。私は3ヶ月でサッカー部を辞めました。その時は、すごく悲しかった。ホームステイ先のお母さんは、「それだけ頑張ってきたんだから、やめてもいいんじゃない」と言って慰めてくれました。私は、「こんな辞め方でいいの?」「みんなは怒るかもしれない」と悩みました。でも、黙って部室から靴を持って帰りました。私は悪い事をしたと思っていました。あの時は、あまり日本語も知らなかったし、言葉をどう使っていいかわからなかったから。今なら、「ごめんね」とみんなに言いたい。みんなとまたサッカーをやりたい。サッカーをやっていた時は楽しかった。先輩は優しかった。松原高校でサッカーをやっていたことを私は決して忘れない。このことは、最初のホームステイのお母さん以外みんな知らない。
 日本に来る前は、色んな事を考えていました。タイでは日本の漫画をよく読んでいたので、「日本の人達はどんな人達かな」「漫画の中の日本人と本物の日本人は一緒かな」と思っていました。「学校へ行く時は何で行くのかな?」タイでは、私の母は車で送りむかえしてくれました。「日本にいる間、どうするのかな? 全部自分でするのかな?」「いろいろな問題がある時は、私はどうしたらいいの?」友達もみんな心配してくれました。でも、日本に行く事は私の夢でした。私は漫画の中だけじゃなくて本当の日本を見たいからどうしても行きたかった。父はアメリカへ行って欲しいと言ってました。だから、妹が父の夢を持って、アメリカへ留学します。でも、私は日本に来てよかった。必ずもう一度、日本にくる!